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東京高等裁判所 昭和44年(う)944号 判決 1969年7月30日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鈴木晴順作成の控訴趣意書(但し、第三の三を除く)記載のとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

原判示第二の事実に関する事実誤認の論旨について

所論は、要するに、被告人は、原判示のように、負傷者の救護、その他法令に定める必要な措置を講ぜず逃走したものであるとはいえず、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて、所論に鑑み按ずるに、被告人及び平野しげ子の司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人が、本件事故発生後、車を停止させて下車し、被害者の許に赴いたものの、被害者の救護の措置を講ずることなく、その後すぐ事故現場から立去つたことが認められ、証人平野しげ子の当公判廷における、被告人は、救急車が来て被害者を収容し終るまで事故現場に止つていた旨の、右認定に反し所論主張に沿う供述は、被告人及び右平野の前記各供述調書と対比して信用することができず、その他右認定を左右するに足る証拠はない。所論は、被告人運転の車の同乗者である右平野等が被害者の救護の措置を講じているのであつて、これは被告人自身の行為と法律上同一に評価すべきものである旨主張するが、なるほど右平野等が被害者を救護しようとして若干努力したことを窺うことができるけれども、右平野等は道路交通法第七二条第一項前段にいう「その他の乗務員」にあたらないのみならず、被告人が右平野等に被害者の救護の措置を依頼乃至指図したりしたこともなく、その他同人等の右行為を被告人の行為と法律上同一に評価すべき事情は証拠上これを認めることができないので、所論は採用できない。又所論は、被害者の負傷は軽微であり、外形的に受傷を認識しうる状態ではなかつたものであるから、被告人に被害者を救護する義務はなかつた旨主張するが、本件のような衝突事故においては、一般的に人の死傷を生ぜしめるのが通常であり、受傷の程度は単に外観のみから容易に判断できるものとは限らないのであるから、所論のように、外形的に受傷の程度を十分認識しえない状態であつたことが窺えるにせよ、被告人が、少くとも未必的には被害者の受傷の事実を認識していたものと認めるのが相当であり、且客観的に被害者の傷が救護の必要がないほど軽微であるとは到底いえないものであつたのに、被告人は、傷の程度を確認する義務さえ尽さず、その場を立去つたものであるから、被告人は、被害者を救護する義務があつたのにこれに違反したものであるというべく、所論は採用できない。以上説示したところにより、原判決の認定は正当であると認められ、その他訴訟記録を精査し、且当審において事実の取調をした結果を併せ検討しても、原判決に所論のような事実誤認があるとは認められない、論旨は理由がない。

原判示第三の事実に関する事実誤認の論旨について

所論は、被告人は、当時アルコールの影響により正常な運転ができないおそれのある状態ではなかつたものであり、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて、接ずるに、原判示事実は、原判決挙示の証拠、特に司法巡査作成の酒酔い鑑識カード及び被告人の平素の酒量は、二合位飲むと酔い、最高は三合位であると認められることを総合して優にこれを認めることができ、所論主張を参酌検討しても、右認定を覆すに足りない。その他訴訟記録を精査し、且当審における事実取調の結果を併せ検討しても、原判決に所論のような事実誤認があるとは認められない、論旨は理由がない。

量刑不当の論旨について

訴訟記録を精査し、且当審において事実の取調をした結果をも参酌して按ずるに、本件は、被告人が、運転の特段の必要もないのに原判示のような相当高度の酒酔い状態で自動車を運転し、これが原因となつて原判示のような重大な過失により人身事故を起し、而も被害者の救護義務に違反したもので、犯情悪質というべく、被告人に交通法規違反による罰金前科三犯があることを併せ考えると、その責任は軽視することはできず、本件に現われた被告人の主観的事情、犯情及び犯罪後の状況等量刑の資料となるべき諸般の情状を総合考察すると、所論が、本件ひき逃げ事情、被害者の受傷の程度、被害者との示談及び被告人の反省等につき、被告人に有利な事情として主張するところを十分斟酌しても、原判決の量刑が不当に重いとは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

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